みちしるべのないみち の みちしるべ

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2009年03月12日 (23:02)

望郷の月

あの月は、あそこで見た月と同じなんだなぁ

どうということも無い一言に見えます。



阿倍仲麻呂(安倍仲磨)は、698年(文武2年)中務大輔・阿部船守の長男として生まれました。
秀才だった仲麻呂は19歳で第8次遣唐使団の一員として717年(開元5年)長安に派遣されます。

その後、超難関の科挙の進士科の試験に合格、唐の高官として順調に昇進を果たすことになり、一緒に唐へ渡った人たちが帰国する中、仲麻呂はその優秀さゆえに帰国を許されず異国の地に長く留まることになります。
30余年の月日が流れた753年、第10次遣唐使団の帰国にあわせて唐側の使節として日本への一時帰国がようやく許されます。
この時、日本へ向った船は4艘。その1艘目に仲麻呂は乗船しました。


唐の友人・王維は別れを惜しみ詩を残しています。

積水不可極  海の広さは極めようも無い 
安知滄海東  はるか東の君の国などわかるはずもない
九州何処遠  世の中ある九つの州、その中でも日本が一番遠く思える
万里若乗空  空に乗っていくほど遠い道のり  
向国惟看日  太陽を目あてに  
帰帆但信風  帆を風にまかせ行くのか  
鰲身映天黒  海亀は天に映え黒く
魚眼射波紅  魚の目は波を射って紅く光る 
郷国扶桑外  扶桑の生える島より彼方の
主人孤島中  孤島へ行く君 
別離方異域  あまりに遠く離れ 
音信若為通  連絡をとることさえ出来ないだろう 


しかし、この船団は今の沖縄に着いた後、奄美へ向う途中で嵐にあいます。
他の3艘は日本へ辿り着きますが、皮肉にも仲麻呂の乗った1艘目だけがこの嵐によってベトナムへと流されてしまいます。
この時170人以上の人たちが命を落としたと伝えられていますが仲麻呂は奇跡的に命をつなぎ、755年6月、長安へと戻りました


仲麻呂の遭難を嘆き

日本晁卿辞帝都  日本の友は長安を辞し
征帆一片遶蓬壷  一片の帆は蓬壷の島を巡り去った
明月不帰沈碧海  輝かしい友の明日は青い海に沈み帰ることはない
白雲愁色満蒼梧  白雲の蒼梧山は悲しみに満ちている


と、その悲しみを詩った李白ら唐の友人たちの驚きと喜びは大変なものだったようです。
王維李白、そして皇帝玄宗...仲麻呂を語る時に出てくる登場人物が、彼の唐での地位を物語ります。


仲麻呂ははその後も異国の地で出世を続け大都督という地位にまで登り、770年、その生涯を終えました。72歳でした。
多くの友に囲まれ出世も果たした仲麻呂ですが、望郷の思いは、ついに叶うことはありませんでした。
   


天の原ふりさけみれば春日なる 三笠の山に出でし月かも

この歌は結局は遭難してしまう、日本へ向う船上で詠まれた歌と伝えられています。
もう一度、故郷の土を踏み、あの月を三笠山の上に見たい
仲麻呂の果たせなかった思いが、千年の時を越えて胸を打ちます。



      *     *     *     *     *



余談になりますが仲麻呂とともに日本へ向かい、難を逃れた2艘目の船の中に鑑真上人がおり、その後の日本に大きな影響を与えています。


   *     *     *     *     * 


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