みちしるべのないみち の みちしるべ

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2009年03月21日 (15:40)

石山寺

梅雨の豪雨が上がったばかりの1948年7月19日、石山寺の本堂から聖観音菩薩像が二人組の若い男によって持ち去られた。二人組は京阪電車に乗り京都方向へ逃走した。

京都へ逃亡中、乗り換えの浜大津で職務質問を受けるが、「京都市太秦の仏師だ。石山寺の依頼を受け、仏像を持ち帰り修理をする。」と言い逃れている。

二人は逢阪山の検問所の手前、上関寺の停留所で降り、山の中へ逃げ込んだ。

翌20日早朝、石山寺で盗難が発覚。大津市警による本格的な捜査が開始された。そして7月28日、大津市上関寺付近の山中で頭部がもぎ取られた仏像が発見され、石山寺に戻された。

その後の警察の懸命な捜査にもかかわらず、仏像の頭部は発見されず、当時、国宝(現在は重要文化財)だった仏像は未だ無残な姿のままである。


       *     *     *     *     * 


紫式部は、藤原為時の娘として生を受けた。
生後すぐに母と死別、好きだった姉も早世する。

藤原宣孝と結婚をし一女をもうけるが、すぐに夫も死んでしまった。


彼女はこうした人生の中、女性の不幸と人間の姿をみすえた傑作・源氏物語を創る。

執筆中のこの物語の評判を聞きつけた藤原道長の推薦を受けて、 一条天皇中宮彰子のもとへ出仕するようになるが、その後も執筆活動は続いていたらしい。

紫式部源氏物語を書き終えて間もなく、四十歳のころ世を去ったという。

 
 

めぐり逢ひて 見しやそれともわかぬまに 雲がくれにし夜半の月かげ

百人一首に残るこの歌で、男を月のようだと歌った彼女自身の人生の幕引きが
そそくさと雲隠れしてしまう月のようであった。


*     *     *     *     *


さて、仏像盗難にあった石山寺紫式部源氏物語を書き始めた寺としても世に知られている。



   *     *     *     *     * 


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