みちしるべのないみち の みちしるべ

  ◆いわゆるダイアリー ・・・ 日記  ◆百人一首をテーマに ・・・ 百人通り  ◆いわゆる随筆 ・・・ エッセイ  ◆気の向くままに ・・・ 散歩道  ◆音楽的思い出 ・・・ CD
 
 
♪ 野球少年だった長男・二男の、大学附属中学受験を振り返り中 ♪
        終わってみれば  ☆☆☆ 中学受験 ☆☆☆  穏やかな気持ち

2009年02月19日 (19:23)

奇跡

もう息ができないわ   


1997年9月6日 アグネス・ゴンハ・ボジャヒューはそう言って息を引き取った。87歳であった。

アグネスは、1910年 アルベニア人の両親のもとボスニア地方に生まれた。
18歳で信仰に生きる決意をした彼女は、アイルランドの修道院で一年間修行の後、インドへ移った。
1979年 ノーベル平和賞を受賞したが、その賞金は当然のように彼女のボランティア活動に費やされた。

彼女はこんなことを度々口にした。

大切なことは、目の前にある人に対して愛を持って接すること

また日本に対してはこんな風にも言っている。

日本の家庭ではお互いに微笑み合う時間すらない

アグネス・ゴンハ・ボジャヒュー...マザー・テレサ...その人である。

彼女が シスター・テレサ と名乗るようになったのは1931年。
テレサの名は、これも実在の人物であるスペイン・アビラの聖女テレサに由来する。

何ごとも心を乱すことなく
何ごとも恐れることはない
すべては過ぎ去っていく 


これはアビラの聖女テレサの言葉。


マザー・テレサの主宰した神の愛の宣教者会は、世界中にネットワークを拡げ
敬虔なシスターたちによって、その活動は更なる広がりをみせている。


マザー・テレサは逝った。けれどもテレサの奇跡は終わってはいない。


追記

マザー・テレサ個人の財産は 彼女のトレードマークとなっていた、青縞の入った白いサリー1枚だったと言われている。



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2009年02月22日 (10:32)

二人乗りの船

「あの船が3人乗りだったら...」

司令船操縦士マイケル・コリンズは、降りていく船を見つめながら、そんなことを考えていた。
船が目的地に降り立つのを見届けると 彼は自らの任務を黙々と遂行した。その顔には穏やかな微笑が浮かんでいた。

月面着陸船

      

一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な躍進だ


1969年7月20日午後10時56分15秒、アポロ11号・船長ニール・アームストロングは、人類史上初めて月面に降り立った。その19分後、エドウィン・オルドリン月着陸船操縦士が月面の土を踏む。

アームストロングとオルドリンは月面に降りた後、岩石の採取などの他、アメリカ国旗を立て写真を撮り、あるいは地球と交信をし、また100M程離れた所まで歩行もしている。



司令船に残ったコリンズは月の周回軌道を巡って月面の観測をした。彼はたった1人で月の軌道を周回し、その役割を果たした。
月面を目前にした彼は、しかし、ただの一歩も月面を踏むことなく地球へと帰還した。



月には記念のプレートが残された。

《 HERE MEN FROM THE PLANET EARTH      
        ここに地球からの人類が
FIRST SET FOOT UPON THE MOON      
         月面に初の一歩をしるす 
JULY 1969,A.D       
         1969年7月

  WE CAME IN PEACE FOR ALL MANKIND
                    私たちは全人類のために平和のうちに来た》



プレートには ニクソン大統領
アームストロング、オルドリン
そしてコリンズの名が刻まれている。




   *     *     *     *     * 


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2009年02月23日 (11:11)

冷たい雨

今日の東京は 冷たい雨 が降っています。




 冷たい雨にうたれて 街をさまよったの
  もう許してくれたって いいころだと思った 


 涙こぼれるように 時もこぼれてゆくわ
  指と指のすきまを そしていつか忘れたい 




もう30年も前の歌なんだって!!


荒井由美ハイファイセット??


知りませ~~~ん♪



イヤイヤ、ここに来るような人は、みんな知ってるはず!!


そんな年代のはず!! (笑)


まぁ歌詞は、ケンカした彼氏に浮気されちゃった女性の話で...




 梅雨のあとさきのトパーズ色の風は
  遠ざかる 君のあとをかけぬける 


 めぐり逢う時は 花びらの中
  ほかの誰よりも きれいだったよ
  別れ行く時も花びらの中
  君は最後までやさしかった 



つゆのあとさき...まだ梅雨には早すぎますね。


この歌は29年前...みんな知ってるはず...と言えるほどメジャーなヒット曲ではないですけど...


by さだまさし です d(^-^)

季節感に若干の疑問を感じますが、とても素敵な歌詞です。一度、聴いてみて下さいね♪



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2009年02月27日 (11:23)

wonderful world

1970年5月26日。
スタジオにジャズ界の名士たちが揃いパーティーが開かれた。大きなチョコレートケーキには 金色のトランペットが飾られていた。
ケーキにナイフを入れたのはルイ・アームストロング...サッチモ である。サッチモ 70歳を記念したレコーディングを兼ねたパーティーだった。

パーティー終了後サッチモは、What A Wonderful World この素晴らしき世界をレコーディングした。
 (大人の1枚。超オススメ♪)


このレコーディングの時サッチモはイントロにのせてこんなことを語っている。


時々、若い奴らが俺に聞くんだ。
オヤジさん 素晴らしい世界ってどういう意味なんだい?
世界では戦争が絶えず 人は飢え 地球は汚されている。
それでも世界は素晴らしいのかい?


ちょっと待てよ。俺の言うことを聞いてくれ。
世界はそんなに悪くねぇ。
俺たちがやってることが悪いだけだろ


俺が言いたいのは...
世界は素晴らしくなる...そう思って生きれば
世界は素晴らしくなるってことだ



愛 愛だよ。それだけさ。
俺達が もっともっと愛し合えれば
世界は とびきりの場所になる
んだよ。
俺は そう言ってるんだよ。

だからこそ俺はいつも歌うんだ。
What A Wonderful World ってね。


 I hear babies cry I watch them grow      
 They'll leam much more than I'll ever know
  And I think to myself,what a wonderful world
     Yes I think to myself,what a wonderful world
 


私はこの部分が一番好きです。 


赤ん坊の泣き声を聞き
そして彼らの成長を見守るんだ

私の知っていることより
もっともっと多くのことを彼らは学んでいくのだろう

素晴らしい世界 なんて素晴らしい世界



(この詩はジョージ・デビット・ルイスが46歳の時、66歳のサッチモのために作詞したものです。)

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2009年03月11日 (09:59)

真剣勝負

真剣勝負


その昔、多くの野球少年がそうだったように 私も長島ファンだった。
その長島と名勝負を演じ続けた投手がいる。

村山 実...すでに故人である。

長島をライバルと公言し、長島を倒すことを最大の目標にして投げ続けた。

村山巨人から2000万円の契約金の提示があったにもかかわらず、長島と戦うために500万円の契約金で阪神に入団した。

区切りの三振記録は長島から奪うと宣言し実行した。
長島はヘルメットを飛ばす豪快な空振りでその勝負に応じた。


幾度となく繰り返された二人の対決。

その結末に『 死球 』はただの一度も無い...


   *     *     *     *     * 


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2009年03月15日 (16:09)

ある選択

1999年11月22日 航空自衛隊入間基地所属のT33型ジェット練習機が入間川河川敷に墜落.。操縦していた隊員2名が死亡した。墜落の際、東京電力の高圧送電線を切断、東京・埼玉の約80万世帯で停電となった。 マスコミの論調は事故に対して批判的で冷淡なものが多かった。
しかし事故現場近くの狭山ヶ丘高等学校学校長・小川義男先生は違う角度からこの事故を見ていた。


以下は小川先生が受験を迎えた3年生に送った文章、『人間を矮小化してはならぬ』の要旨です。


*     *     *     *     *


先日の墜落事故で2人の自衛隊隊員が亡くなられました。 二佐と三佐と言いますから、相当地位の高いパイロットだと言えます。 二人とも脱出を試みましたが、高度不足でパラシュートが開かず地面に激突し命を失いました。


以前、現在防衛大学の学生である本校の卒業生が、防大合格後航空コースに進むというのを聞いて「あんな危ないものに乗るな」と止めたことがあります。

先生、戦闘機は旅客機より安全なのです。万一の場合脱出装置が付いており 座席ごと空中に打ち出されるのですから

と彼は答えました。


その安全な戦闘機に乗りながら、この二人の高級将校は何故死んだのでしょうか?

それは彼らが十分な高度で脱出をしなかったからです。

そう彼らは、自ら脱出を遅らせました

もう100メートル上空で脱出装置を使っていれば彼らは助かることが出来たでしょう。
しかし47歳と48歳、家族にとってかけがえもなく尊い父親でもあったはずの彼らは、あえて死の危険を冒しました。


あの墜落現場である入間川の河川敷は住宅や学校が密集している場所のすぐ近くです。事故機は西武文理高等学校の上を飛んで河川敷に飛び込んでいきました。
100メートル上空で脱出すれば彼らは助かることができたでしょうが、残された機体が民家や学校に激突する危険がありました。

彼らは自らの危険を覚悟し、高圧線にぶつかるような低空になるまで操縦を続け河川敷に接近し、他人に被害が及ばないことが確実になった時、初めて脱出装置を作動させました。


他人の命と自分の命の二者択一を迫られ、彼らは他人を選びました


皆さんはこのよう場面に遭遇した時、どんな選択をされるでしょう。
私は思います、きっと皆さんも同じコースを選ぶと。

人間とは、そのように作られています。


人間はエゴイストであるなどと矮小化する必要はありません。人間は本来、気高く偉大なものです。

消防士は逃げ遅れている人があれば、自らの危険を忘れて猛火の中に飛び込みます。
母は我が子のために、父は家族の為に命を投げ出して戦います。

それが人間の本当の姿です。


人は他人のために尽くすときに最大の生き甲斐を感ずる生き物です。


そのような人材を育てたいと私も全力を尽くしています。



   *     *     *     *     * 


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2009年03月19日 (10:54)

この道

松尾芭蕉という人の亡くなった年齢をご存知でしょうか?

1644年生まれ 1694年没 享年51
イメージよりも若くありませんか?


芭蕉は自ら老いを望んでいたようです。
老いの身で旅をし 俳句を読み紀行文を記す。
芭蕉の生涯の目的は そんなところにあったように見えます。


さて『奥の細道』ですが

行く春や 鳥啼き魚の 目は泪     
と行く春に旅立ちの時を迎え

蛤の ふたみにわかれ 行く秋ぞ    
と行く秋に旅の終わりを告げる。

文学を語るほどの知識も学もない私ですが
この部分だけを切り取ってみて「上手くできてるなぁ」と感心しています。



わづらはで 月には夜も かよひけり  隣へつたふ 畔のほそ道
 芭蕉から遡ることおよそ500年 奥州を歩いた西行


都をば 霞とともに たちしかど 秋風ぞ吹く 白河の関
 西行のさらに100年前 奥州をめぐった能因


月日は百代の過客にして 行きかふ年も又旅人なり

ご存知の書き出しで始まるこの紀行文におさめられた旅は、旅人が数百年の時をたどった旅でもあったのです。



松尾芭蕉 辞世の句とも言われている一句を最後に記します。
芭蕉にとって『』とはなんだったのか...自分にとって『』とはなんなのか...
そんなことを考えてみたくなります。


この道や ゆく人なしに 秋の暮れ




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2009年03月24日 (07:25)

グッドニュース

そのアメリカ人の若者に父の死を報せる手紙が届いた時、若者はフランスの病院のベッドの上だった。


若者は自らの人生を呪い、両親を恨んでもいた。あまりに不運な人生だった。

頭は良かったのだが貧乏で学業をあきらめた。
すり切れたズボンがパッチワークのようだったからパッチと呼ばれた。

必死で金を貯め、一旗揚げようとフランスへ渡った。
苦労を重ねてようやく言葉を覚え、さぁ商売でも始めようと思った矢先、泥棒に全財産を盗まれた。

一からやり直そうと農場で働き始めたが馬に蹴られて足を複雑骨折した。

フランスに渡ってから4年が過ぎていた。

入院していた彼に母親から手紙が来た。冒頭に書いた父の死を報せる手紙である。
父の死後すでに3ヶ月が過ぎていた。父は自分の死を3ヶ月間は息子に知らせるなと言い残していた。



父は息子に《言葉》を遺した。


お前が産まれた時、嬉しさのあまり泣いた。

苦労ばかりをさせ教育さえ受けさせてやれなかった。
けれど私はお前とお前の母親を愛した。お前たちが私の誇りだ。

お前の母親には親バカだといつも笑われたが、お前は何かをやり遂げる男だと信じていた。
お前がフランスへ行くと言った時も いよいよその時が来たと心底嬉しかった。

私がお前に残してやれるものは何も無い。
ただお前を愛している。お前の成功を信じている。私にはそれしか出来ない。

焦らず進みなさい。
私はお前を愛している。私はお前を信じている。




母の手紙は父の死を報せ、その言葉を伝えた。そして母の《言葉》が記されていた。


この手紙はバッド・ニュースを報せるものではありません。
父の愛を...グッドニュースを伝える手紙です。
私もあなたからのグッド・ニュースを待っています。



若者は病院のベッドで泣いた。
貧乏を憎み、父を恨んだことを恥じた。


自分を愛してくれた父に恥じない人間になりたい、心からそう思った。

しかし、彼はまだ数ヶ月、病院で過ごさなければならなかった。


ある日の新聞に、『親の愛』をテーマにしたエッセイ募集の記事があった。

夢中で書いた。
これまでの彼の人生と母親から届いた『グッド・ニュース』を報せる手紙のことを。
そして必ず母とともに父の墓前にグッド・ニュースを届けるのだと。


このエッセイが特別賞に選ばれた。
そしてこのエッセイを偶然フランスを訪れていた、アメリカ建国の父とも言われる偉人ベンジャミン・フランクリンが目にした。

ベンジャミン・フランクリン自身も小学校もまともに卒業出来ないような境遇から、科学や政治の世界で身を興した人物であった。

この偉人が若者に手紙を書いた。


異国の地で懸命に頑張るアメリカの若者がいることを知り、とても嬉しい。私に投資させて下さい。


小切手が同封されていた。


あなたが成功したら私にお金を返すのではなく、あなたと同じような境遇のひとに同額のお金を返してあげてください。
そんなことが繰り返され 人の手から手へと善意の輪を広げていって欲しいのです。



1784年 ベンジャミン・フランクリン 78歳 無私無欲の行為であった。



若者はその後貿易商となり成功した。

母とともに父の墓前にグッド・ニュースを届けることが出来た。


彼は基金を創設して、自分のような境遇にある人物を支援することをライフワークとした。


ベンジャミン・フランクリン投資した資金は、大きな花を咲かせた



若者の名はベンジャミン・ウエッブ。その基金をウエッブ基金といいます。



多くのことを感じさせくれる実話です。



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2009年04月04日 (09:14)

ピラミッド

春ですね♪ もうすぐ運動会の季節です。その前に入学式かな。(笑)
今日は、ある幼稚園の運動会でのお話。 


     *     *     *     *     * 


ダンスかけっこお昼ご飯、そしてリレーも終わり、最後の見せ場、年長さんのピラミッド

この時のために、みんな懸命に練習し上手にできるようになった...はずだった。


けれど、どうしたことか運動会本番の時に1番上に立つ子が登れない


幼稚園のちっちゃなお友達やその親御さんたちも必死に声援を送った。


何度も挑戦した。

それでもダメだった。


結局、その子はピラミッドの上に立つことが出来なかった



演技が終わり整列の時、その子は泣いていた
何度もを拭っていた。


悔しいんだろうなぁ。立たせてあげたかったなぁ


誰もが思った。



運動会が終わり その子も両親の元に帰ってきた。


父親は優しく抱きしめて「泣いてたね?」と言った。

その子は「うん。」とちょっと照れくさそうに頷いた。


悔しかったね。立ちたかったね。


うん立ちたかった。でもお父さん違うよ。」





みんなの声がね いっぱい聞こえたの。がんばれっ!って。
そんで立てなかったのに良くやった。えらいぞっ!ってみんなほめてくれてたの。
そんでパチパチって拍手がいっぱい聞こえたの。
そしたらね、うれしくってが出てきたの。



成長した我が子の言葉に、今度は父親が泣いていた



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2009年04月06日 (14:30)

金メダリスト

史上最強の柔道家とも言われる山下泰裕氏は指導者になっていた。

「柔道で大事なのは勝ち負けだけじゃない。
自分が勝って誰かが悲しむような勝負はするな。
勝っても自惚れず謙虚さを失ってはいけない。」


と選手たちを指導した。



山下氏が監督を勤めたシドニー・オリンピックでは、前日に試合が終わった選手が 次の日の選手の付き人をすることになっていた。

金メダルを獲得した野村忠宏選手は 明け方四時ごろまでマスコミの対応に追われ
わずかの時間しか休むことが出来なかった。

それでも野村選手は次の日、中村行成選手の付き人になった。
けれど中村選手は残念ながら負けてしまった。


控え室に戻った中村選手は座り込んでしまい しばらくしてようやく着替えを始めた。


野村選手は中村選手の柔道着を とても大切そうに丁寧にたたんだ。
本当は付き人はそこまでやる必要はなかった。
それなのに野村選手は 負けてしまった中村選手の柔道着をとても愛しそうに、丁寧に丁寧にたたんでいた。


野村選手は人の痛みがわかる金メダリストになっていた。


その姿に皆が心を打たれた。



山下氏が指導者の喜びを知った瞬間だった。



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